「空振りの歴史」と見るか、「ここまで来た」と見るか

地震予知を考える (岩波新書)

地震予知を考える (岩波新書)

 阪神淡路大震災の直後に出された岩波新書
例によって「前兆現象」がこれだけあったのに「なぜ外したのか?」という地震学者の自問自答を底流に置きつつも、明治以来の地震研究と「予知」の歴史を丁寧に紹介している。

 1944年12月6日の東南海地震の際も、「そろそろ危ない」と感じて掛川あたりを丁寧に測量していた学者がいた。その日、測量値に「狂い」が生じ、「これは誤差ではないぞ」と話していた午後、地震は起きた。関東大震災前も、「そろそろ来るから東京で、石油ランプの照明は規制するべきだ」と訴えた学者がいた(人を騒がせるなということで、公式に謝罪した数年後、10万人を超える死者を出す大災害が発生した)。

 筆者自身、全国各地で微小な地震を観測し続け、「前震」のキャッチにも成功している。確かに、筆者が言うように、要注意断層の周辺に地震計を置きまくり、24時間体制で監視し続ければ「超短期予知」(数日前ぐらいから数時間前ぐらいまで)は可能かもしれない。しかし、すべての要注意断層に警戒網を敷けば、その予算は計り知れないものになるだろう。

 地震の予知にはハイテクも、ウルトラCもない。必要なのは、地道にコツコツとデータを取る事と、過去の災害のサイクルや被害状況を丹念に調べる事であるということが分かった。「六甲のおいしい水
のイオン濃度が、震災直前に大きく変化したという報告がされているように意外と身近なところに前兆現象が転がっているものである。専門家に任せきりにするのではなく、変に悲観も楽観もせずに「その日」に備えて行くしかないのかもしれない。
 この震災をきっかけに、「地震」の勉強をしたくなった人の入門書として、ぜひお勧めしたい。