「サービス」に見る、ホテルと学校の共通性

サービスはホテルに学べ (光文社新書)

サービスはホテルに学べ (光文社新書)

 著者は、立教大学の観光学科卒。ホテル専門雑誌の編集者、編集長を経てフリーの「ホテル作家」になった人物。よくある「ホテルマンの手記」ものと違って、徹底的に「お客さん目線」でホテルとは何か、サービスとは何かについて論じている。
 有名ホテルのスタッフ、上は支配人から(空間的な位置としての)下は地下のランドリー職人(帝国ホテルは今も専任スタッフがいる)から駐車場係に至るまで、ありとあらゆるスタッフにインタビューし、全国津々浦々のホテルについて論じている。
 著者が強調しているのは、ホテルのスタッフというのは、「人を喜ばせ、くつろがせ、楽しませるのを楽しめる」人でないと務まらないということである。またお客も「客であることを楽しむ」姿勢が不可欠である。遠慮せずオーダーし、してもらったサービスに「お金払ってるんだから当然」という顔をせずに「いやー、どうもありがとう」と自然に言えるようになって初めてホテルライフが楽しめると著者は言う。いつもスタッフに「手土産」を持参する外国からの常連客の話が出てくるが、真のセレブは定宿を「遠くの親戚の家に遊びに行く」ように使いこなすものらしい。若いスタッフが、長い時間かけて責任あるポジションに就くことを、まるで親戚の甥っ子の出世を祝うように喜ぶ経済界の重鎮達。それに比べると、たった1,2泊しただけで、やれあそこは当たりだのハズレだの吹聴したり、ちょっとしたミスに目くじらを立てて延々と責め立てる「クレーマー」的お客は、どんなにお金を持っていたとしても、さもしいし、「ホテル」はただの「食べて寝る」空間以上のものにはならないのだと思う。
 「ホテル」を「学校」に置き換えても同じことが言えると思う。スタッフはやはり「勉強を教えること」「子供の成長を手伝うこと」が楽しくてしょうがない人でなければ務まらないが、「無知なあなたに教えてあげよう」という態度ではお客の心が離れていくのは、ホテルのコンシェルジュやソムリエの仕事に似ている。お客の「声にならないニーズ」を素早く察知して、嫌味にならない程度に先回りする技量が求められるし、恥をかかせないように注意しながら、場の品格に見合った振る舞いを「お客」にも要求しなければならない。一方、お客である子供やその親たちも、「高い学費払ってるんだから当然」「この教師はハズレ」といった、ちまちました損得を考えるのではなく、「マイ学校」として愛着を持ち、スタッフを育て、「リピーター」を増やしていく事で「ブランド」はゆるぎないものになる。私学によくみられる「ブランド校」は、そういう点でホテルに近い経営をしている。決して「ランク」(=偏差値)だけでは測れないものを持っている点でホテルと学校はよく似ている。「最高級=最良」とは限らないし、逆もまたしかり。スタッフ、お客それぞれで目に付くところ、感じ方も違う中で、両者の間に立ちながら切り盛りしていく支配人(マネージャー)の手腕が問われるのである。
 こう書くとどうも「公立」の分が悪いが、安くて地域密着の「旅籠」的な学校も、それはそれでニーズがあるし、繁盛のさせ方はある。ホテルや私学と100%同じ次元で論ずることはできない事には注意しておきたい。
 「サービス」とは、下僕のように仕えることではない。どこかのホテルのキャッチフレーズに、「紳士淑女をお迎えする、紳士淑女であれ」というのがあるそうだが、誇りを持って「わがまま(≠無理難題)を聞き、人を喜ばせる」ことのようである。仕事に疲れてしまった先生、学校の外の人から「教師はサービス業である」なんてことを言われてつい「はぁ?」と突っ込みを入れてしまう先生にぜひ一読を勧めたい。「サービス」は奥が深いのである。