そうか、「おやじ目線」だから駄目なのか。

地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか? (ちくま新書)

地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか? (ちくま新書)

 世に言う「地域再生」町おこしがうまくいかない(上手くいっていないことを認めようとしない)のは、地域を仕切っている行政や、商店主らリーダー層のほとんどが中年男性、すなわち「おやじ」の目線でしか物を見ていないからであるという、かいつまんで言えばそういう本である。地域再生は「プロジェクトX」のようには行かないし、そもそもすべてを彼らが若かりし頃のように「再生」させることは不可能なのだから、「選択と集中」(切るべきところは切り、重点的に資本とエネルギーを注入する)が必要。まさに正論である。これでもかというくらい失敗例(でも、行政的には成功例として紹介)を挙げ「王様は裸だ!」と訴える姿勢は小気味よいが、名指しされた所は嫌だろうなあ・・・・。

 寂れた商店街に「チャレンジショップ」を開いたところで今の仕事を辞めて週6回も店番をし続けるような酔狂な人はいない(確かに)し、地酒と郷土料理を前面に出した屋台村を作っても、コミュニケーションに疲れ、自分が選んだ店で「はずす」ことを恐れ、しかも、実家通いが多く、自分の家で母親やばあさんが、飲食店よりもはるかに美味い「郷土料理」を日々出してくれるような若者は、チェーン店で「2名様より個室」の居酒屋を好む(そういう店を目の敵にするので必要はない等々。

 筆者はいかに「おやじ」の論理が「地元の女子供の本音」とかけ離れ、瞬間最大風速的な(イベントのときだけ盛り上がる)「優等生的な地域おこし」が粗製濫造されているかを嘆く。でも、その鋭い切り口が「おやじ」達の支持を集めて、「地域再生論」のご意見番として、講演等に引っ張りだこというのもまた皮肉である。頭ではわかっていても、ついつい他所の「成功事例」を猿真似してみたくなるのがおやじの性か。
「おやじ」に片足を突っ込み、きらびやかな「地域再生」ネタで小論文を書くことをけしかける立場として(それで生徒も地域に眼を向けて、取材先からも喜ばれるので、決して悪いことではないと思ってますが)、耳痛いところも多いが、「なるほどな」と思うところが多かった。