明治が若かったころの、父達と娘達の話

明治の女子留学生―最初に海を渡った五人の少女 (平凡社新書)

明治の女子留学生―最初に海を渡った五人の少女 (平凡社新書)

 明治4年アメリカ大統領に維新を正式に伝え、条約改定を頼みに行くべく海を渡った「岩倉使節団」に同行した5人の少女。新橋の停車場から横浜まで、開業前ながら「特別試運転」された陸蒸気に乗せられて華々しく送りだされた面々は、公募に誰も応募がなかったため、再募集に応じた旧幕臣、賊軍の将兵の娘達だった。中でも最年少の津田梅子は満6歳11カ月(今の小1)。

 揺れる船の中でとっておきの漬物を分け、おとぎ話をして不安を和らげる伊藤博文(30歳)、日本最初の駐アメリカ外交官として、女子留学生募集の企画からホームステイ先の斡旋までを手掛けた森有礼(24歳:後の初代文部大臣)、幕末にアメリカに密航し、現地で維新を迎えた新島襄(29歳、同志社大学創始者)は、渡航後も、かつての学友の娘である女の子たちを見守って行く。
 
 “父兄”の世代の期待を一身に背負って10年学んだ娘達は、帰国して大活躍・・・・というわけではなかった。日本語を全くしゃべれなくなった津田梅子(16歳)らは、「官費留学生」のキャリアを生かせる仕事もなかった。半年後、英語の臨時講師としてキャリアをスタートさせたものの、給料の安さに憤慨して退職。しかし、天皇誕生日のパーティーの席で、すっかり偉くなった伊藤博文(42歳)と再会する事で、彼女の運命はがらりとかわり・・・・・。

 「こんな小さな子をアメリカに送るなんざ、親は鬼だ」と蔑まれつつも、旅に出し、帰国後もきっちりと見守ったお父さん達と、かつての敵方ながらも、学友の娘らの面倒を見て、そして帰国後もきっちりと後見して活躍の場を作った青年官僚達。森も伊藤も「暗殺」という形で世を去った。伊藤博文に関してはあんまりいい言われ方をしないし、韓国でフィールドワークしていた頃は、自分も名字のせいで嫌な思いをする事も何度かあった事が何度かあったけど、この本を読んでちょっと見直した。「明治がまだ若かったころの逸話は知っておいてもいいと思う。

 著者は会社員を定年退職後の1997年から文筆活動を始めた。史料を一つ一つ示し、感情を交えず、とつとつと刻み込むような文体は、波乱万丈の「女性の物語」といい感じでマッチしている。