冷凍車はじめてものがたり

富永シヅ物語―国産初の冷凍車を走らせた女性

富永シヅ物語―国産初の冷凍車を走らせた女性

 コンビニや宅急便で使われる冷蔵車冷凍車クール宅急便。冷たいものを冷たいまま運ぶという行為は当たり前すぎて意識もしないこのごろですが、日本で初めて冷凍車を走らせたのは、九州の一人の女性でした。
 五島列島の教師の長女に生まれ、長崎の女子師範学校を出て小学校教員をしていた主人公は、24歳で14歳年上の網元の夫に嫁ぎます。相撲部屋と同じシステムで多くの若手漁師を抱える婚家は、一本釣りから延縄へ、そして底引き網漁へと漁業を近代化させ、根拠地を長崎から福岡へ移します。戦争による重油不足への対応と漁業不振による過労から夫が急死(主人公33歳)してしまいます。

 戦後、多角経営を目指して夫が買い残した土地に木造倉庫を建てて
倉庫業を開始、昭和31年に運送業に転じて現在の「福岡運輸」を創業。ちょうどその頃、米軍が自分達の食糧輸送の業務を日本の業者に委託することを決め、「冷蔵庫をトラックに積む」という難事業に挑む業者を募ったところ、誰もが尻込みする中でただ一人手を挙げたのが・・・・・というあらすじ。

 貨車に氷と塩を詰めて東京―福岡を4日がかりで運んでいた輸送を
トラックで2日に縮め、収穫高が少なく、貧しい稲作地帯だった南九州を野菜産地に変え、コンビニの成長を支えるなど、同社の歴史は日本の戦後の物流の歴史そのものです。生涯でたった1度しか洋服に袖を通さなかったという主人公。様々なトラブルに際して和服姿で現場に乗り込み、「人の役に立つ仕事をしている」という信念と自負は決して曲げません。
 
 主人公は、平成18年(2006年)5月23日、97歳で世を去りました。出版は同年10月1日。あとがきにもありますが、「本人に読ませたかった」全く同感です。