前田敦子はキリストをこえた

 

前田敦子はキリストを超えた: 〈宗教〉としてのAKB48 (ちくま新書)

前田敦子はキリストを超えた: 〈宗教〉としてのAKB48 (ちくま新書)

気鋭の社会学者にして「AKBヲタ」である批評家が綴る、AKB論および「センター」論。
 人間の罪を一身に背負い、石もって追われながら磔死したキリストと、匿名のネット空間から「アンチ」の集中砲火を一身に受け止めて踏ん張った前田敦子に「宗教」的共通性を見出して、AKBを「宗教」に例える試みは面白い。ただ、それを補強するために次から次へと持ち出される聖書やらマルクスやらニーチェやらウェーバーやらで塗り固め、かと思えばAKB劇場の公演はいかに素晴らしいかといった「レポ」(レポート)に飛んでみたりと、まとまりや一貫性に欠けてしまっている。
 黒板いっぱいにキーワードやら参考文献やらを書き連ねたと思えば「ところでさー、この間ねー」と、机に腰掛けてどうでもいい話を「知的に」語る(つもりでいる)「Gパンをはいた准教授」の講義を聞かされているような読後感。「ヲタ」の心理を知る分には良いかもしれないが、論理は思いつきのレベルを超えていない。著者自身、何年後かに読み返したら、間違いなく赤面ものだろう。