「やらない」という選択肢だってある

幸せを届けるボランティア、不幸を招くボランティア (14歳の世渡り術)

幸せを届けるボランティア、不幸を招くボランティア (14歳の世渡り術)

 テレビをつければ「♪AC〜」のCMが流れまくり、「頑張ろう」の大合唱。それはそれで悪い事ではないけれど、「さあ、ボランティアをしなきゃ」「いつになったら被災地に行けるのかな」とそわそわしている人がいたら、この本を一読する事を勧める。

 著者は苦労人である。せっかく入った高校(超進学校)になじめずに中退。肉体労働で何年か日銭を稼いだものの体力がもたず、「机に向かう仕事につきたい」と、「高卒程度」の公務員試験を受けて合格。働きながら大検に受かって夜間の大学へ。一旦公務員を退職して貯金で1年間昼夜大学に通って「大卒程度」の公務員試験に再合格。福祉の現場で働いた後に独立。様々なNGOの代表(あえてNPOとは呼ばないのがミソ)や理事をしつつ、文筆や講演を行っている。

「やらされて、動員されるボランティア」(企業の売名行為など)の弊害、地方自治体にありがちな「ボランティア」という名の人件費抑制策と、それによって仕事を奪われる正規職員の悲哀(図書館のスタッフなど)、ボランティア自身の自己陶酔と「してもらう」事に依存してしまってかえって自立出来なくなってしまう泥沼に陥りがちな「災害支援」の現場など、「人を不幸にするボランティア」として挙げる事例は具体性に富んでいる。

 確かに、「がれきの除去」をするボランティアもありだけど、しっかり予算をつけて、「公共事業」にして、日当を払えば被災地の人に「仕事」を提供することだってできるはずである。「『無償でもやります』という人がたくさんいるから」という理由で、最初からボランティア任せにしてしまえば、被災者の貴重な現金収入のあてを奪う事にもなりかねない。個人はもちろん、社員に動員をかけて被災地に乗り込もうなんて考えている経営者は、今一度よく考えたほうがよいと思う。

「ボランティア」もいいけれど、まずは目の前の「仕事」をきっちりやって、「プロ」として何ができるのかをじっくり考える事、あえて「やらない」(むやみに頼らない)という選択肢もあるという事も頭にとめておきたい。