支配者のツールとしての富士山

富士山―聖と美の山 (中公新書)

富士山―聖と美の山 (中公新書)

富士山の文化的通史として、平安時代から明治の廃仏毀釈までを網羅した教科書的な一冊。
自然に関する解説本は数多いが、文化史的な入門書は少ないので、これは大変便利。
全体を通して共通しているのは、「富士山は時々の支配者に利用され続けてきた山」であるという史観。
平安末期の「実相寺」の建立(実は奥州平泉に対抗するための“砂金”の物流拠点だった(!?))や、鹿鳴館時代のリゾート開発(外国にも高く評価されることで自尊心を高める)、戦前のナショナリズム高揚の手段としての富士山利用「あーたまーをくーもーの・・・」でおなじみの唱歌の登場など、「日本一」がゆえに、利用され続ける運命なのか。
 そう考えると、「富士山を世界遺産に」なんていう空騒ぎも妙に納得できる。きれい事を言っているその政府と県当局が、ほんの数十年前に富士山南麓の景色を煙突と掘り込み式港湾と突貫工事の道路で環境をむちゃくちゃにしてくれた事を忘れてはならないのではないか(その時は、「経済成長」がすべてに優先するスローガンだったんだろうが)。全く、いつの時代も為政者は適当かつ勝手なものである。
 政権がどう騒ごうとも、民衆の支配に富士山がどう利用されようとも、「富士は不尽」。超然とたたずむ所にこの山の価値があるのです。