鉄道の地理学

 

鉄道の地理学

鉄道の地理学

著者は鉄道史学会、歴史地理学会の会長を務めた鉄道史の権威。「鉄道の成り立ちがわかる事典」の名にふさわしく、古今東西(主に日本と西欧)ありとあらゆる「鉄道のうんちく」が各テーマ2,3ページにコンパクトにまとめられている。
 前半は、「鉄道発達史」的な内容で、地理学?という面もあるが、列車が加速するがごとく、5章「地形に挑む鉄道」6章「大河や海を渡る鉄道」7章「気候条件が鉄道に与える影響」、10章「駅の地理学」あたりになってくると、「歴史地理学者」の本領発揮といった趣になる。
 「陸蒸気」がやってくると禍が起きるということで、明治の開業当時、人々が村に鉄道を通る事を忌避したという「鉄道忌避伝説」が全く根拠のない「伝説」である事を長編で立証した著者。ここでも忌避伝説の否定や、当初の計画は中山道まわりで計画されていた東京〜大阪間のルートが陸軍による艦砲射撃の忌避ではなく、内陸部の経済振興目的や、東海道沿岸部での船運(鉄道より安いので需要が見込めない)という判断があったことなどを丁寧に解説している(少なくとも、艦砲射撃を恐れた陸軍の反対ではなさそうである)。その上で、できる限りトンネルの掘削費用や橋梁の設置費用を節約するためのルート取り、輸送力に応じた路線の付け替え等、日本だけでなくヨーロッパやアメリカと比較しながら「システム」としての鉄道の建設と維持について豊富な事例を提供している。
「事典」ゆえの制約か、著者の「持ちネタ」的部分と、一般的に知られている内容の部分と内容の濃さにややムラがある(例えば、最終章の新幹線項や、鉄道地図の項はかなり薄味)。編集サイドで一般受けするネタを後から継ぎ足した「連結部分」が目立つようにも思える。それをマイナスするものの、著者にしか絶対書けそうもない研究の成果の片鱗が現れている良本である。

飯舘村は負けない

 

飯舘村は負けない――土と人の未来のために (岩波新書)

飯舘村は負けない――土と人の未来のために (岩波新書)

震災前から「中山間地域の未来を引っ張るモデル農村」として飯舘村を研究してきた福島大学の2人の研究者が、発災直後から全村避難、そして除染作業をめぐる対立が続く現在にいたるまでを豊富な聞き取り調査をもとにまとめたルポ。
 1956年、飯曽村と大舘村が合併してできた飯舘村。広大な村域でよく言えば集落の独立性、悪く言えば旧村対立が続いていた村をまとめるために取られてきた試みがようやく実を結ぼうとしていた矢先の放射能汚染。第3章の「村づくりのこれまで」に見る飯舘村の履歴書は一読の価値がある。役場の職員時代から旗振りをしてきた現村長は、計画的避難地域指定後も村内の事業所を存続させ(従業員は村外から車で通勤)除染を国の事業として行わせるために東奔西走するが、その政策が100%村民から支持されているわけではなく、特に若い世代からの反発が強い。
 「がんばろう!」「負けない!」「被災地」というレッテルを貼ることで、思考停止してしまいがちなジャーナリズムに対して「物言う少数派」の主張と行動を汲み取って問題提起する姿勢は高く評価できる。ただ、「中立」に徹するあまり、著者の考え方が今ひとつ見えない。調査者としての姿勢かもしれないが、もう少し社会科学の研究者としての肉声が欲しかった。

欧州のエネルギーシフト

 

欧州のエネルギーシフト (岩波新書)

欧州のエネルギーシフト (岩波新書)

朝日新聞ブリュッセル支局長を勤めた記者(現:論説委員)が、福島第一原発後にヨーロッパ各国の原発や、原発に取り組む関係者を取材してまとめたルポ。「欧州は・・・」とひとくくりにできない多様性が見て取れる。
「フランスは原発依存度が高く、ドイツは脱原発。でも、電線は国境を越えてつながっているからドイツはフランスから原発電力を買っている・・・」地理の授業ではお馴染みの「常識」だが、そもそもなぜフランスが原発に傾倒するようになったのか、ドイツは“フランス依存”の脱却のためにどんな戦略を取ろうとしているのかなど、「なるほど」と思わせるところが多い。また、「風力のデンマーク」のスマートグリッド氷河湖はあるのに落差がないため水力発電ができず、ロシアからの電力輸入に頼るフィンランド(世界で初めて使用済み核燃料の最終処分場を建設)、衰退した工場跡地を「エコシティ」として再開発して若者を引き寄せるドイツの取り組みなど、新聞の外報面「特集」を一冊にまとめたような構成で、どこからでも読める。
 ヨーロッパにとって「チェルノブイリ」がいかにインパクトをもたらす事件であったのか、そこから綿々と議論と技術革新が積み重ねられて今日があることを筆者は指摘する。日本の「フクシマ」の悲劇を足がかりに、単なるYesかNoかではなく、何をどうしていくべきか真剣に考えなければならないと思わせる。

やらなきゃゼロ

 

高卒で東京都の職員に。苦学して法政大学の夜間コースを卒業した著者。都の交流人事で夕張市に派遣され、地域コミュニティ活動に没入したのをきっかけに、帰京後、市長選に推されて「日本最年少市長」に当選。と、書けばあっという間だが、その時その時のエピソードが実に面白い。財政再建都市のため、ほんの少しの支出変更でも北海道と国(総務省)にお伺いを立てなければ前に進まず、「金が出ない」ことから政策を考えなければならない辛さは、「そう遠くない未来の日本の姿」と言い切る。
 都職員からの着任1日目、夕方5時で暖房が打ち切られ、職員はスキーウエアを羽織って室温マイナス近くの中で黙々と残業に励む中、「防寒対策不足でリタイア」のエピソードが象徴的。職員が辞めていく中で負担は増す一方で、最低限の経費すら自由にならないジレンマ。でも、それを「笑い話」で済まさずに安定した身分を投げ打って再び乗り込んでいった著者もすごいし、こういう本が岩波ジュニアとして出るのも意義あること。若いもんは堂々と「公務員」を目指していいと思うし、公務員はもっともっと地方に、そして地域に飛び出して行って欲しいと思える本である。

十字架

 

十字架 (講談社文庫)

十字架 (講談社文庫)

1980年代末、14歳でいじめを苦に自殺した少年の遺書に「親友」と書かれた主人公と片思いの告白を受けた少女、そして家族のその後20年にわたる物語。いじめた側、見殺しにした側、糾弾する世間、時とともに風化する一方で、主人公は父となり、ずっと自分に十字架を突きつけてきた「あの人」(自殺した友の父)と向き合う・・・最初から最後まで重い、とにかく重い。でも、「当事者」以外は忘れ去っていくものであるという達観と、それに抗う「父」の行動は切なくもドラマチックである。ドロドロに描きつつも、最後は淡い希望を持たせるのが重松流か。
 「いじめ」とは何か、「自殺とは何か」、キャラの濃いそれぞれの登場人物に感情移入しながら色々な読み方ができる作品である。団塊ジュニア世代に特にお勧め。

この地名が危ない

 

この地名が危ない (幻冬舎新書)

この地名が危ない (幻冬舎新書)

著者は地理学を修め、編集者を経て「地名評論家」として活躍する著述家。様々な史料を駆使しながらこれまであまり試みられることがなかった大字、小字レベルの地名から「危ないところ」を指摘し、権威ある地名辞典の誤り等を指摘している。「地名は先人が遺したメッセージである」という趣旨はわかるし、「なるほど、こういうことを調べる分野もあるのか」という点ではためになるのだが、徹頭徹尾「危ないところ探し」「私は知っていたぞ」的なトーンには、今ひとつ同調できない。
 先人のメッセージには、「危ないから気をつけろ」だけでなく、「ここは住むに良いところだ」「ここは大事なところだから荒らしてはならぬ」といったメッセージもあるはず。そうしたポジティブな伝承、地域への愛着をもたらす要素もあるだろうし、そうした研究の蓄積もあるだろうに、編集方針なのか、著者の博識を顕示したい要求なのか、そのあたりのバランスのなさが読後の後味を悪くしている。

ブラック企業

 

ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪 (文春新書)

ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪 (文春新書)

著者は1983年生まれ。大学在学中、「何が何でも正社員に」という大学側の「キャリア教育」に疑問を持ち、就活のトラブルを受け付けるNPOを設置。以来、わざと多めに採用してふるい落とす「研修」や「カウンセリング」の果てに「自己都合退職に持ち込むように仕向けられた若手正社員達の相談を通じて、若い人材をにしてはばからない「ブラック企業」や、それを指南する「ブラック士業」(悪徳弁護士、コンサルタント、社労士)が、日本経済および社会にいかに害悪をもたらすかを指摘する。
 ユニクロワタミ、ローソンなど、誰でも知っている企業から内定を得た新卒者が「社内シューカツ」でボロボロにされ、鬱病による「休職」を経てから退職に追い込まれる姿は壮絶。ただ、それが単なる「告発」にとどまらず、廻りまわっていかに日本の社会に悪影響を及ぼすのかや、「戦略的な人格破壊」に対して若者はどう自己防衛するべきかなどを具体的に示している。
 「日本型雇用慣行」は、実はそれほど古いものではなく、1950年代の壮絶な労使対決の中で紛争回避のための「落としどころ」として至ったこと(強大な指揮命令権やサービス残業を強いる代わりに永年雇用や福利厚生を保証)、現代の企業の「ブラック化」は、雇用不安の中で企業が日本型雇用の「いいとこどり」をしている(指揮命令権を維持しつつ、身分保障は放棄)という指摘は鋭い。厳しい就職活動を勝ち抜いたエリートほど理不尽な研修に着いていけない自分を責めてしまい、鬱病になる構造は、「DVの被害者」と同じである。
 「シューカツ」に違和感を感じる大学生、「だから“ゆとり”は・・・」と嘆く上の世代、そして「キャリア教育」の美名に酔ってしまっている教育関係者はぜひ読んで欲しい。そして、筆者がいうように、「鬱病になる前に相談」が鉄則だと思う。